江戸幕府の時代、1647年~1867年、朝廷は日光東照宮に毎年例幣使を遣わせた。京都から中山道で倉賀野宿に至り例幣使街道が分岐、楡木宿で日光街道壬生通りに合流して日光へ。倉賀野~楡木の間に玉村(たまむら)、五料(ごりょう)、柴(しば)、木崎(きざき)、太田(おおた)、八木(やぎ)、簗田(やなだ)、天明(てんみょう)、犬伏(いぬぶし)、富田(とみた)、栃木(とちぎ)、合戦場(かっせんば)、金崎(かなさき)の13宿が設けられた。地元から近いのでスタートしたが、その先遠くなってしばらく放置。やはり残りを、と一気に。次は日光街道へ。