次の夢を追いかけて

 

 


旅がらすの乱RUNらん

 

   2013年7月9日    賑やかなお見送りの悲しみと、静かなお見送りの幸せ

 

 葬式のやり方をどっちが良いの悪いの言うわけじゃありません。
 おばが亡くなり、お通夜、告別式に行った。香典なしでと念を押されたので手ぶらで。身内だけが参列し、思い出を語り、静かに見送った。享年98歳。認知症にもならずしっかりしていて、ただ脚を骨折して車椅子になったあとは自宅近くの有料老人ホームで生活していた。その年齢になると、生き延びてる友人もほとんどなく、いても出かけてこれる状態じゃないだろう。喪主もとっくに現役をしりぞき、会社関係者を集めることもない。身内だけといっても、子ども、孫、ひ孫、甥姪でそれなりの人数。長生きして、子孫繁栄で。1ヶ月前に風邪を引いてから食欲がなくなり、2週間前から流動食も欲しがらなくなり、衰弱していったが、炎が小さくなり燃え尽きてすーっと消えていくようにやすらかな大往生。 穏やかな、幸せな人生を過ごしたわけだ。ご遺族も、叔母の最後を自然に受け止められる状況。もう一人の叔母(この叔母の妹)、96歳だけど、杖ついて娘と一緒に参列。まだ認知症の気配もなくしっかりしている。その叔母がお別れで顔をみるとき「お姉さん、さよなら」と泣いていたのには、みんな、涙だったが。
 おばは父の姉だけど、父は私がアラフォーのとき脳出血で急死。翌々年母もくも膜下で急死、どっちもまだアラセブンだった。私たちは働き盛り年代で、それぞれの職場の関係者がわんさかおしかけた。このごろは現役世代が喪主だったり、ご本人だったりしても家族葬がふえているけど、当時は自然と盛大になっていた。そういうお年頃に亡くなってしまった、ということだ。まだ、早すぎる最後なのだ。まだやりたいことがあっただろうし、残されたほうも残念だし悲しいし。子どものころ親を亡くしたわけじゃないから、若いうちと言っても困ったわけではないが、あっという間にその年になってしまうという不安。
 長生きしてやる〜と思ってるけど、寿命はわからない。
 今のうちに遊ばなくちゃ〜〜 

 

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