次の夢を追いかけて

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旅がらすの乱RUNらん

 

   2012年6月30日   脱原発ひとりデモ16 若狭本郷〜大飯原発〜高浜原発〜若狭本郷

 

 今日は原発二ヶ所を見に行く。

 ところで小浜は発音がオバマなので、アメリカでオバマ大統領が誕生するとき、勝手に応援して大盛り上がり。来日したとき、ここへも来たようだ。ホテルには等身大の写真が。

 

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 昨日の続きを走るので、若狭本郷までは電車でGo 。
 駅からちょっとバックして、青戸大橋へ。橋の上から西を見ると、若狭富士がきれいな二等辺三角形。7:20、あの向こう側は舞鶴だ。

 

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 行く手の大島半島は、山の上に送電線鉄塔が林立。

 

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 7:39見おろす小浜湾の景色は今日も美しい。振り返ると、道の向かい側は原発関係者の駐車場。

 

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 あの島へ渡る釣り船の看板は今もたくさん出ているが、やっているのかなあ。

 

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 すぐこの先が、トンネルくぐって原発へ行く道と、海岸沿いの村へ下る道のT字路だ。

 

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 ゲートが作られ、ガードマンが立って、トンネル手前までしか行かれない。この奥は立ち入り禁止。8:40まだ抗議行動の人は来ていなかった。

 

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 坂を下り海岸へ。ほんとうに、この自然をきれいなまま後世に残さなくては。

 

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 海岸沿いは漁港があり、釣り船屋と民宿が何軒も並ぶ。

 

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 往路にも同じような写真。この風景がいいな、と行きも帰りも写真におさめた。

 

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 青戸大橋の手前で右折、青戸入江の北側の道を行く。

 原発からの送電線で空がいっぱい。若狭富士がだんだん近づく。

 

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 10:51 関西電力原子力研修センター。

 

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 ペースが落ち、予定通り進まないが、やっと青戸入江を過ぎ村の中でカクカクと曲がり、国道に近づく。合流せず、古い道が平行して続いていた。

 

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 屋根にシャチホコがいたり、旧街道らしい家並みが続く。

 

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 若狭高浜駅の手前で国道に出る。12:08若狭富士がすぐ近くになった。

 

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 向こうの半島の山の上も送電線の鉄塔が林立。高浜原発が近づいた。

 

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 三松海水浴場を過ぎると、道は高台に登り、トンネルの先に出た。

 

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 12:46舞鶴への道と分岐し、高浜原発へ向かう。

 

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 この道から見下ろす海もきれいだ。

 

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 13:10、原発のエリアに入った。

 

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 13:14、カーブの先に、原発の建物が。原子炉建屋みたいなモノが見えている。

 

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 あら、びっくり〜!!他の原発は金網の向こうは深い森。ゲートから奥深く、本体は見えなかったが、ここはいきなり敷地だ。丸見え。それだけじゃない。ゲートを過ぎると道は橋に鳴るが、その下、両側が原発の敷地だ。丸見え〜。

 

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 「この道はどこへ行くんですか?」と聞いたら、「この奥の村へ行く県道です」だって。へ〜、この奥に村があるんだ。原発の上を通らないと行けない村が。
 ここでスマホが電池切れ隣、しばらく写真が取れなかった。

 

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 少し充電できたので、一応写真写せた。橋を渡り、トンネル抜けて半島の反対側に出た。そこの展望台からは、高浜原発の別の側が良く見える。写真でははっきり写ってないが、むかってすぐ右隣にも村がある。

 

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 地図見ると、この道は行き止まりで、奥の村へ行く道はこれ一本しかない。原発で何かあったら村の人はどうやって逃げるんだろう。

 

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 ちゃんと学校もある。いわゆる限界集落じゃなく、子ども達がいるんだ。子ども達はどうやって逃げるんだろう。

 

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 ダイビングスクールがいくつかあり、けっこう賑わってた。原発見ながらダイビングか。船もたくさん出ていて・・・そうか、みんな車みたいに船もっているから、船に乗って逃げればいいんだ。

 

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 モニタリングポストの前に村人2人がいた。いざというときどうやって逃げるか聞いたら、船で逃げるか、ヘリに来てもらうか。何かあったらあの道は通れなくなるから、と。
 「でもねえ・・・脱原発は困るんだよ。仕事がなくなってしまう」「原発におつとめですか、命がけの仕事ですね」想定内の答えだし気持ちも状況もよくわかる。ほんとうは、命がけと言うより、命を削るといったほうが合ってたな。「どこで働いても、自分達がやるような体使う仕事は危険と隣り合わせ、命がけだから」と言う。「そうですね、私の親族も都会で働いているけど、危険のある仕事ですよ」「そうでしょう、何かあれば」
 原発の場合、何かがなくても、被爆して命削ってるのになあ。事故の危険だったら、そりゃ、何にでもある。私の仕事だって。何か、都会で恵まれた生活してる人たちが自分らの苦労もしらないで脱原発と言ってる、というオーラがあった。まあ、そのことで言い争うのはよして、「私は群馬から来ました。福島原発から200キロ以上も離れてます。でも、放射能が降り、町の名産のしいたけやタケノコから高濃度のセシウムが出てしまいました。みんな困っています」と言うと、「う〜ん、しいたけにたけのこね〜〜」と考え込んでいた。
 風は基本的に西から東へ吹く。だから福島では大部分が太平洋に流れ、ごく一部が風向きの変化で内陸に広がった。それでも被害は大きい。もし福井で事故が起きたら、大部分は陸地に広がる。大阪、京都の水がめ琵琶湖まで、直線距離は近い。それなのに、福井県は原発銀座。恐ろしい。
 この村は道路の行き止まり、山が海に迫りまとまった平らな土地がほとんどない。だから原発の現金収入に頼ったのだろう。自然相手の半農半漁と観光だけでは、現代の生活を乗り切るのは大変だろう、原発がなかったら今も暮らしがどうかというより、もし原発以外の何かが来て別の開発が進んだらどうだったかって考えられないかなあ。原発をやめるとして、廃炉にするまでまだまだ大変な作業の年月がかかる。その間は仕事がある。廃炉にするまでの間に、何十年もあるのだから、時代も変わるし新しい仕事を作ればいいのに。
 ぜひここに、福島の双葉郡の人たちから被害を伝えてほしい。 

 

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 若狭本郷に戻る途中、明日のアクションに参加する人の車から声をかけられた。コンビニの駐車場などにも、参加者の車があちこちに。だんだん盛り上がってきた。駅の近くの公園にテント村があるのを見つけた。今夜は徹夜でゲート前に座り込みだって。

 

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ランはこれで一時終了し、明日は朝からアクション参加にしよう。

 

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