次の夢を追いかけて

 

 


旅がらすの乱RUNらん

 

   2013年3月9日    3.9つながろうフクシマ!さよなら原発大集会に

 

 ラッキーなことにシフトは宿直明け。無理しないで参加できる。
 集会開始までちょっとはんぱに時間があったので仕事先から歩いて行った。途中、大久保通りコリアンタウンとか通って、おのぼりさん観光。新宿で昼食。新宿御苑は有料なので中を抜けるのはよしといて、外苑西通りで明治公園に。
 ちょうど、構成詩望郷を演奏中。いつ聞いても涙がとまらなくなる。早めに着いたので、リレートークなども聞けた。
 ふるさとを奪われた双葉郡の人たち。見慣れた山や森、自分の手で作り上げ維持してきた家や田畑の中で、家族や親類や小さいころからの友達といっしょに生活する、当たり前の日常を取り戻したい、が、放射能に汚染され、避難生活の間に荒れ果てていく現実に、夢は遠のく。何十キロか離れた中通りでも平常時なら「放射線管理区域」に該当する高線量が続く中での生活。幼い子を抱えて遠くに避難すると、地元を離れられない老親や、年上の子どもや、友人たちと離れ離れになる。何をするにも究極の選択に悩む。
 これは、東日本で生活する者にとって他人事ではない。現実にふるさとが荒れ果てていくことにはならず、ふるさとを追われて帰るめども立たずというほどにはならずに済んでいるが、程度の差だけで、放射能に汚染されていることは同じ。危険を避けたいと思えば、やはり遠くへ逃げなければならない。ふるさとを、仕事を、一生働いて得た土地と家を、友人を捨てなければならない。それは、かんたんにできる選択ではない。農業、牧畜業、漁業は?農家や漁民の人たちは生きがいをもって働いてきたのに。その仕事を奪われるのは人間の尊厳を否定されるようなものだ。どこまでが汚染の過小評価でどこからが風評被害なのか。大丈夫といわれても後から、実は汚染されてたと。どれほどたくさんのそういう事実が隠されているのか。安全、安心を奪われた私たち。この不安、悲しさ、悔しさがフクシマの現地と重なる。
 去年はタケノコ採りや桑の実摘みにほとんど行かなかった。今年も行かないだろう。今年、夏みかんのマーマレードを作るのはやめた。フキノトウを近所からたくさん採ってくるのもやめた。庭に出てるちょこっとで早春を確かめただけ。畑はどうしよう。天地返しなどでやってみよう。しかし肥料は。自家製堆肥は使えない。
 
 ヘリがぐるぐる飛んでた。1機は、カンパで飛ばし、山本太郎さんが乗ってるって。16:00〜空撮ニュースがネットで見れるって言ってたけど、見つからない。
 代々木公園までパレードやって、渋谷駅に出て帰ったので、全部で14kmウォーキング。

 

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