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次の夢を追いかけて |
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2012年5月25日 脱原発ひとりデモ7日目小田原〜富士市61km |
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<道覚えてると思ったが>
出発前、荷造りの時間なく、地図探しも大慌て。のどこかに東海道の地図はあるが、発見できたのは物見遊山編。そのとき箱根は足柄越えだった。まあ、三島までは道覚えてるつもり。→結果、間違いはなかったが、意外と記憶あいまい。分岐を見落としたのではと不安になること何度も。 ネットカフェを出て、小田原城のお堀に沿って回り、藤棚が6:30。しばらく一国、ガードのところから旧街道が分岐。箱根湯本駅手前の三枚橋を渡る。 |
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早雲寺7:28。急な上り坂になる。 |
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初花堂のある鎮雲禅寺8:02。 |
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8:11須雲川自然探勝歩道に入る。誰かさんをぜひご案内したいような橋がある。 |
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8:28車道と交差し、再び旧街道に。畑宿まで続いている。 |
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畑宿の一里塚8:39。石畳を登りながら、それと関係なく昨夜の宴会での会話を思い出していた。「職業に貴賎はないから、ちゃんと働けばどんな職種でも同じように賃金が保障されていいじゃないか。」と考える50台半ば以上と、「そんな夢みたいなこと考えたこともなかった。職種などによる格差は、しかたないと思ってた」という30台の相違。民間のいろいろな福祉法人→公的責任で施設運営することにして、3セクと直営の協働、全員公務員並み待遇→3セク中心に→純粋民間化、待遇悪化とうちらのカイサが変化してきた思い出話から、そんな話題になってた。すると、「雲助」の説明看板。雲助は泥棒だと思われているけど、そんなのはごく一部。旅人の荷物を運ぶ仕事で、力が強く、荷造りが上手で、歌がうまくないと採用されない、とくに箱根では全員をきっちり登録しており、悪さをするものなどいなかった、と。大事な、誇れる仕事だったんだ。
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箱根八里の碑。9:32。 |
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大鳥居9:43。↓鳥居の右側は賽の河原。 |
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芦ノ湖の海賊船がちょうど出航。 |
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杉並木で、箱根関所へ。で、関所があるのだが、「あっちがわへ通り抜けたい」というだけの人はタダでOK.。復元された関所のいろんな建物見物しながら通り抜けた。 |
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駒形神社の先、箱根峠への上り口。芦川の石仏群。10:09 |
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10:24箱根峠の道の駅から芦ノ湖を見おろす。この先、三島まで店がないから、昼食のうどんを食べた。さて、下り道の入り口は?国道から右へ、ゴルフ場への道に入り、笹の間に山道があったが、その、国道からの曲がり角がどのへんだったか・・・思い出せず、道の駅で聞いてから出発。雨が本降りになってしまった。高価なカッパのカッパを持ってきたが、ジャパンカッパですませた。暑くも寒くもなく、ちょうど良い。 |
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11:26雲助徳利の墓。周囲の道が幅広くなり整備され、以前とは雰囲気が変わった。 |
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山中城址周辺もすっかり整備された。今回もスルー。 |
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もう少し下ったところから、左側の展望が開ける。 |
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錦田一里塚12:33。 |
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三島大社12:54。箱根越えマラニックは三島ゴールが多いが、今日はまだまだ、ここで半分。 |
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沼津へ向かう。13:10民家の間から千貫樋がちらっと見える。↓近くの小浜池の水を駿河の国にひいた昔の水道。 |
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玉井寺一里塚。江戸から二十九里。13:18。 |
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↑長沢八幡の参道。境内に源頼朝・義経の対面石。↓13:32 |
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沼津市街地に入る。平作地蔵13:58。 |
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沼津市街地でカクカク曲がり、国道に合流後また旧道に分岐。ここから吉原までとてもとても長い一本道。 |
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途中の見どころ、松蔭寺の擂鉢松。15:30門を入り・・・あれっつ?ない!!工事の人に聞いたら、最近枯れてしまい、そこのブルーシートの中だよ、と。ここも枯れてしまったのか。 |
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酒蔵の開いている時間に通過できたので、小1本ゲット。 |
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境内に望岳碑のある立円寺。今日は曇って富士山は見えない。 |
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やっと一本道が終わり、線路くぐって吉原に。道がぐっと右カーブ。西へ向かうと常に右に見える富士山が、ここで一瞬左になる。左富士神社17:25。 |
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和田川にかかる橋のところに平家越えの碑。17:33。 |
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吉原宿を通り過ぎ、市役所の後方にあるスーパーホテルに宿泊。場所さがしているうち日が暮れた。 |
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