次の夢を追いかけて

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旅がらすの乱RUNらん

 

   2012年3月12日   広野町ウォーク、ハワイアンズで本物フラガールを見る

 

 昨夜、初めて乗る磐越東線でいわきに移動。原発からの距離近いのに、線量は11月ごろ東京で測ったのと同じ0.15〜0.2マイクロシーベルト。なのでたくさんの被災者が仮の生活をし、工事関係者の拠点にもなっている。ホテルとれたのが奇跡?連泊したかったけど全然無理だった。まだリハビリウォークの状態だから、あまりウロウロはせず、ちょっと歩いたらハワイアンズに移動し、今夜帰ることにした。
 常磐線は広野駅まで。(次の駅は立ち入り禁止区域で、復旧していない)

 

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 駅のすぐ前に、旧道っぽい道が通ってた。そういうの好きなので、この道を行ってみよう。街中の線量は0.2〜0.3マイクロ。↓ここはちょっと高かったけど。

 

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 新しくきれいな家が多い。もったいないなー。これじゃ帰りたいだろうなあ。工事関係者のためか?新しいアパートも多い。
 道が上り坂になると、旧街道らしい古い家並み。大きくりっぱな家が並ぶ。回りは農地。正面に火力発電所の煙突が見える。

 

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 北へ行くにつれ線量がどんどん上昇。6号線と合流するあたりは0.5マイクロを越えた。この辺の海は風光明媚で海浜公園だった。ドライブイン、観光民宿が工事関係者用宿舎に。

 

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 前方遠くに黄色い帽子の集団が道路横断するのが見えた。えっまさか、集団登校?役場が戻り、住民の帰還が始まったと聞いたが、町の北部は線量が高い。こんなところにたくさんの子どもが?と不審だったが、近づいたら工事関係者の黄色いヘルメット集団だった。
 大規模な公園には工事の人達用の仮設宿舎が立ち並んでいた。楢葉町との境に到着。立ち入り禁止ラインだ。このあたりは工業団地。

 

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 帰りは6号線を歩いた。道端は畑や果樹園。実りの大地だったのに。

 鳥居があり,神社をのぞいてみたら長い参道の奥で見えない。入ってみたいけど、足の様子見ながらなのでパス。歴史ある村なんだなー。

 

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 駅周辺は新しく立派な中学校や体育館、公園。線路の東側に行ってみると、そちらは津波の爪あとが。でも、全滅状態ではなく、ちょっと高い場所は流されず残ってた。被害にあった家も、手入れすればまた仕える状態。あちこちで修復工事中だった。
 休まず歩いて約10km(9.5キロ)

 

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 駅前の酒屋が営業してた。店の奥様とお話した。地震で酒ビンが割れ、片付けるまもなく避難。はじめ知人頼って家族で東京に避難したがとても暮らしにくく、4月からいわきに。そこから店に通って片付け、早々に営業再開してきた。先日役場が戻ってきたが、ほとんどの住民は避難を続けている。除染も始まったばかり、まだここで生活できる状況ではない、と。
 被災した酒蔵の地酒のことをTVでやってたので、あるか聞いてみた。被災した上、米作りがだめで酒米が入手困難、少ししか生産できず、東京のデパートに出荷して地元の小さい酒屋まで回ってこないとのこと。地元いわきの地酒かって帰った。帰宅後右のいわき郷あけてチビチビ飲んでみた。おいしい!

 

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 電車でも、私の線量計見て「どれくらいですか、人がくらせないほどですか」と聞かれた。暮らせるか暮らせないか、答えられない。避難先は東京や、近場ではいわき。でも、中通に仮設ができてたり。中通のほうが線量高いのに。
 電車バスでハワイアンズに行って、フラガールのダンス見てきた手(チョキ) ハワイアンズも被災し、復旧までの間フラガールさんたちは各地で被災者慰問や、復興支援キャンペーンで全国行脚の公演。その様子がパネル展示されていて、見てると涙が出た。ショー、買い物、食事、温泉楽しんで程よい時間。水着がないので3分の2遊び残した。また来よう。

 

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