次の夢を追いかけて

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旅がらすの乱RUNらん

 

   2011年9月23日   中山道2日目、醒ヶ井〜鵜沼、犬山ユース69km

 

70km弱でめちゃくたばった。
醒ヶ井宿、美しい
柏原宿、りっぱな家がたくさん
今須宿、静か
関ヶ原、面白い
垂井宿、賑やか
赤坂宿も良い
美江寺、腹ペコ。蕎麦屋期待したけどない。
そのあと、あんころ姫の本社発見
河渡、渡し舟にのるはずが増水で運休、遠回り。加納から鵜沼の間、長い。国道に合流したからよけい長く感じる。
夕暮れの鵜沼宿素敵。
犬山ユース、ユースと思えない、設備きれいでりっぱ、ご馳走ぴかぴか(新しい)
夜中に熱出した。鼻水ひどくて咳が出て眠れない。明日はワープ決めた。

 


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 醒ヶ井の宿、鱒矢。丹生川に面した静かな山里。約2キロ下り、中山道に戻る。

 

 

 

↑ 醒ヶ井宿の西行水。 ↓古い家並みが残る。

 

 

 

↑道端に清流が流れる。↓この季節もまだ梅花藻が咲いていた。

 

 

 

↑醒ヶ井宿本陣跡。 ↓地蔵堂

 

 

 

↑腰掛石、鞍掛石のある湧水。↓醒ヶ井宿東の枡形。

 

 

 

醒ヶ井宿を出て、柏原に向かう。↑一里塚跡。

 

 

 

↑柏原宿手前の長沢集落。松並木や古い茅葺の家が点在。

 

 

 

↑東山道追分。↓柏原宿に入る。古くりっぱな家が多い。

 

 

 

 

↑柏原宿歴史館。↓酒蔵?

 

 

 

↑本陣跡。 ↓近江、美濃国境。寝物語の里。

 

 

 

国道を渡り、今須宿に。↑↓

 

 

 

↑一里塚跡。↓関が原に入る。急坂を下り・・・また登る。

 

 

 

↑矢尻の池。壬申の乱のとき、大友皇子軍の兵士が水を求めて矢尻で掘ったという伝説。↓不破の関守址。

 

 

 

↑不破の関跡。関が原は、家康以前にも、壬申の乱、南北朝などの時代に戦場となった。↓徳川家康最初陣地。

 

 

 

関が原の戦いのときはじめに陣地を築いた場所。この石に座り、関が原全体を見下ろし、作戦を立てた。

 

 

 

↑国指定史跡垂井一里塚。中山道の一里塚で国の史跡は志村とここだけ。垂井宿は商店街になっており賑やか。宿場を過ぎ、橋を渡ると大垣方面へ向かい、東海道につながる美濃路が分岐する。↓垂井追分の道標。

 

 

 

赤坂宿。この町並みも古く立派な家が多い。

 

 

 

↓本陣跡も公園。

 

 

 

これまでは歴史的な町並みの宿場と、のどかな田舎道が続いたが、このあたりは新興住宅地で、ちょっと退屈な区間が約5キロ。↑呂久の渡跡。信長の時代、美濃と京都の交通が発達、渡し場が作られた。当時は今とは違う流れだった。↓揖斐川を渡り、巣南町役場前の公園へ。

 

 

 

↑のどかな小川沿いの道から、美江寺宿へ。そろそろ昼食時。蕎麦屋はだいかなあ。ウナギ屋しかない。ウナギじゃ時間かかって困る。

 

 

 

↑美江寺宿本陣跡。↓高札場跡。

 

 

 

↑美江寺観音。↓秋葉神社。同じ境内にある。

 

 

 

 門前町として、蕎麦屋くらいあってもよさそうなのに、もう一軒ウナギ屋があっただけ。腹へった〜。旧街道は国道から離れ、スーパーやコンビニもない。交差点の左を見ると、300mくらいにコンビニが見えたので、みんなで回り道。トイレと昼食。長良川の堤防下につくと、河渡宿。橋を渡って行くこともできるが、渡し舟が現在も運行しており、無料なので乗ることにした。支流の橋を越え、堤防を走っていくと、先方にそれらしきところが見えてきた。
 が、増水のため運休。ショック。渡船がないと、あと2km上流に迂回しなければならない。

 

 

 

 そういえば、赤い旗が見えて、怪しいな、とは思った。でもその地点では引き返すにも遠い。長良川を渡ると、岐阜の市街地に入る。岐阜はもと加納宿。↓加納宿本陣跡。

 

 

 

↑市街地でも、裏通りなので静かだ。↓突き当りが善休寺。

 

 

 

各務原あたりは国道と重なり、バイパスも合流。スーパーやコンビニには不自由しないが、つまらない。とても長く感じた。↑鵜沼宿の町並み。↓木曽川の向こうに、犬山城がチラッと見えた。

 

 

 

↓酒蔵。

 

 

 

↑犬山大橋から見る、夕日の犬山城。↓このユースはきれいでお風呂が大きく、食事まおおいしくてなかなか良い。

 

 

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