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旅がらすの乱RUNらん

 

 
  
2009年11月1日      二本松街道ジャーニーラン2日目 

 

(猪苗代〜会津若松 旧道藪ありで43.5km)

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  今日は猪苗代〜会津若松。二本松街道をそのまま行くと30キロ余りで近すぎるし、せっかくだから会津の名所めぐりも、と言うコース。6時、ほりい荘スタート。ワンコ2匹を連れたあおりゅうさんが車でスタート時間ちょうどに到着。kazさんが運転とワンコの世話をする。まず、宿のすぐそばの土津神社へ。
 CP1土津(はにつ)神社。ほんの100mだけど、写真撮ったりして6:14。境内の紅葉がみごとだった。土津神社は、会津藩の藩祖、保科正之公を祀っている。神社の奥に墓がある。大きな墓所を一回り。紅葉に囲まれて保科正之公の履歴を刻んだ石碑と、台座の亀石がある。この亀石ははじめ南向きにおかれたが、猪苗代湖を見て一晩で湖に這い出してしまい、北向きに変えたという伝説がある。 
 神社を出て、宿の前に戻り、幹線道路を外れて畑の道や掘割沿いの遊歩道を進む。森が開けたところからは、磐梯山が良く見える。みんなで集合写真。旧道が土手を離れる目印の場所は三忠碑。松林の中に巨大な石碑が立つ。それから、わずかな区間だが、旧街道の松並木が残る。
 5.5km、CP2不動一里塚。7:28。旧道は小川で途切れていて、渡れる場所に迂回。しばらくは、昔の新田開発で旧道が寸断されたという感じで田んぼや畑の中をカクカク進む。 
 また磐梯山の良く見える場所。少し向きが変わってきた。
 8.9km、CP3湯殿山石碑。村の中にある。7:53。コースから60mほど入ったところに大岩、源翁石がある。真ん中に細い割れ目が。旅がらす、割れ目抜けにチャレンジ。あっさりクリア。あおりゅうさんも、クリア。メタボな人は通れません。
 藪を突破し、旧道は車道に合流。そのあと、線路のところで、車道は下を潜り抜けるが、旧道は上を渡る。
 ちょっとそこのお兄さん、線路に入ってはいけません。
 磐越西線は何度も大きくS字を描いて曲がりくねっている。道は直進し、何度も線路を横断することになる。
  二本松街道は南下して若松へ向かうが、このジャーニーは北に、慧日寺(えにちじ)をめざした。慧日寺は平安時代初め、法相宗の僧・徳一によって開かれた。徳一は、天台宗の最澄、真言宗の空海と大論争を繰り広げた人なんだって(ウィきで調べてみた)。CP4徳一墓は慧日寺の中にある。14.4km、8:55。薬師信仰から下部が薬として削り取られ、細くなっている。
 慧日寺は明治の廃仏毀釈で一旦廃寺になったが、明治37年(1904年)に復興され、「恵日寺」と書き、言宗豊山派の寺院となった。平安時代初期からの寺院の遺構は、慧日寺跡(えにちじあと)として国の史跡に指定されている。  
 磐梯山は後ろになった。山麓の広々した高原を進む。
 南に向かい、東長原駅のそばで磐越西線をまたわたり、日新館の建つ丘を回り込む。CP5、会津藩校日新館は、入場料を払って中に入り、ゆっくり見学。22.6km、10:20着。
 江戸中期、会津藩では人材育成を重視、藩校を作り文武両道の教育をした。藩士の男の子たちは全員ここに入学。江戸末期の戊辰戦争で、日新館で学んだ16〜7歳の少年たちによって百虎隊が編成された。百虎隊は、炎に包まれた鶴ヶ城を眺めながら、飯盛山で壮絶な最期を遂げた。
 館内は藩校の様子が再現され、勉強の場面、生活の場面などが百虎隊の少年たちの人形によってあらわされている。
 庭には「水練の池」がある。日本最古のプールだ。「天文台」に登ると、日新館の全体が見えた。
 日新館に約1時間滞在。まだ今日の行程の半分が残っている。午後から天気が崩れるとの予報だったが、今のところまだおだやかだ。だけど、そろそろ空腹になってきた。宿の朝食が5時半だったから。おいしい蕎麦のある強清水まで10キロ、1時間半〜2時間かかる。
 日新館の丘を下り、会津慈母大観音の前を通り、畑の中の道を行く。CP6、八田野一里塚26.2km地点、11:53。街道の両側に塚が残っている。二本松街道をまっすぐ来れば、磐梯町から2キロ弱しかなかった。桜石の村を抜け、森の道を進み、CP7、鍋沼、30.8km12:46。蕎麦屋までもう少し。
 強清水ではちょうど新蕎麦祭りをやっていた。だけど、蕎麦の前にCP8へ。地名の通り、おいしい湧水がある。水汲み場の看板に「子は清水」32.0km13:06。新蕎麦祭りで食べたいと思ったが、行列がすごいらしい。すぐ食べれそうな店に入る。名物、ニシンの天ぷら蕎麦。このほか、天ぷらまんじゅうも食べた。
 14時近くなり、蕎麦屋から出てきたら、空が暗く曇って、へんな風も吹いている。予報どおり天気が崩れてきた。
 強清水から500mくらいのところから、沓掛峠越えの山道に入る。山道に入ってすぐが峠だったらしく、ほとんどは下り坂。金堀の村に下り、細い車道で滝沢峠に登る。CP9滝沢峠、34.7km、14:30。下りは石畳の残る道。
 峠から下り、戸の口堰に沿って細い道を行くと、用水はトンネルになる。これを百虎隊は潜り抜けた。CP10、百虎隊抜け穴、36.7km 14:58。トンネルの向こう側は飯盛山だけど、今ではくぐりぬけるのは不可能。
 若松の街の一角に入った。滝沢本陣が残る。中を見たいが、雨が降りそうだし、時間もおしてきた。
  百虎隊の史跡がいろいろある飯盛山に入る。CP11、37.7km、珍しい造りの建物、さざえ堂。15:18。内部に階段がなく、グルグル回っててっぺんまで行き、別の道で下る。せっかくだから入場料払って入ってみた。らせん状の坂で登り、てっぺんに着いてこんどは下る。いつのまにか下る不思議な建物、とか言っているが、そんなわけではない。
 さざえ堂を出て、百虎隊墓所など飯盛山の史跡めぐり。百虎隊最後の地からは会津若松市街地の見晴らしが良い。鶴ヶ城を見ている様子が像になっている。
 街に下り、鶴ヶ城に向かう途中、雨が降り始めた。はんぞうさんは城への分岐に入らず、どんどん直進してしまう。呼んだが無視してどんどん行ってしまった。あとでわかった。道草ポイントの武家屋敷を見に行ったのだった。
 CP12鶴ヶ城、41.8km、16:23。城をゆっくり見る余裕もなく、ゴールの札の辻に向かう。雨はだんだん本降りになってきた。城から出た段階で方角がわからなくなって、通行人に聞いた。札の辻は下野街道のときの最終CPで、そこが札の辻だとわかるまで苦労した交差点。ゴールのホテルはその交差点に面していた。
 夕食はホテル併設の居酒屋が臨時開店してくれたので、雨の中、外に行かずにすんだ。

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