6日目
国府⇒宮
57.5km
今日は東海道の中で旅がらすにとって、もっとも未知度が高い区間。一国とはほとんどかぶらないし、JRから離れているので、どこ、それって感じ。松並木、昔の家並み、当時の姿をとどめた一里塚、見所いっぱいの区間だった。 |
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始発電車で国府に。6:08東海道に復帰。御油の一里塚はすぐだった。ついで姫街道本坂越え追分。御油宿の先にはりっぱな松並木が残っている。(2.2km、6:26)朝日に映えてきれいだった。御油と赤坂の間はわずか。すぐまた宿場らしい家並みが。 |
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泊めてもらえなかった大橋屋旅館。(3.2km、6:38)広重の浮世絵のモデルになった旅籠、そんな由緒ある老舗旅館なので完全予約制、無理もない。宿場を通り抜けると、山すその田んぼ道になる。原っぱの中に長沢一里塚の標柱が建つ。道の反対側、学校の石垣の下に長沢城址の説明パネル。山に挟まれた間を、東名、JR、一国が通り、旧街道は一国とついたりはなれたりしている。そのわりにのどかな道。701年に行基により開山され、家康が幼年期を過ごしたという由緒ある法蔵寺の門前を通過。(8.8km、7:36) |
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そして本宿の町並みに入る。一里塚跡には石柱が立っている。本宿にも古い家が多い。名電山中付近は旧道は国道の北側。いちど国道に合流し、藤川宿の入り口、「東の棒鼻」から南側に分岐する。(12.6km、8:13)棒鼻はきれいに公園風に整備されている。藤川宿の問屋場跡、本陣跡には標柱がたっており、脇本陣は昔の建物が残り、資料館になっている。(13.2km、8:27) |
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脇本陣跡はこの写真かな。小学校前に、松ノ木に囲まれた西の棒鼻が復元されている。その斜め向かいが十王堂。芭蕉の句碑がある。(13.7km、8:33)十王堂の少しに藤川一里塚。 |
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東海道は名電の踏み切りを渡るが、その手前に吉良道道標。石に刻まれた吉良の文字が読み取れる。踏み切りの先、旧街道の松並木がまた始まる。(14.3km、8:38)岡崎源氏蛍発生地の碑がある川を渡り、岡崎市街地に入る前、当時の原型をとどめた大平一里塚がある。南側は塚が残り、榎が植わっている。(18.0km、9:12)。 |
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二十七曲がりは角ごとに案内の石碑が建つので地図が苦手な人も大丈夫。(19.6km、9:59)地図といえば、大変なことにコンビにで飲食、地図の入れ替えをしたときに、1枚落としてしまった。だいぶ進んで気づいたので戻る気になれない。今までの地図に八丁味噌までは出ている。八丁味噌蔵街を抜け(23.8km、10:25)、矢作橋をわたる。(24.5km、10:32)ここから地図がない。見通しの法則に従い、八丁味噌の対岸で旧道を探す。あるある、と思ったのも一瞬。残念ながら不正解。道がなくなってしまった。探し回ってあっちウロウロ、こっちウロウロ。大パニック。次に地図に載っているのは「来迎寺」。一国の北側の、旧国道という感じの道。だからしばらく一国を進み、分岐点を探すしかない。でも距離の見当がつかない。 |
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南斜めに旧道に入ってしばらくで、両側とも原型をよくとどめる阿野一里塚があった。(41.7km、14:42)周囲は市街化が進んでいる。名鉄のガードの先が桶狭間古戦場入り口。もう一度国道の北側に分岐すると、古い町並みが現れる。(45.4km、15:21)うだつのあがった屋根、風格ある家が並ぶ。絞りの名産地らしく「ありまつ」と染められた絞りののれんが家々にかけられている。観光客の姿も多い。ここを写真に撮れず残念。 |
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