5日目
見附宿⇒国府(御油手前)
63.0km
東海道一人旅も後半に入った。今日のコースのうち浜松宿〜吉田宿間は以前年末年始の東海道大会にむけた下見で走ったことがある。松並木や関所跡、本陣跡などがたくさん残る区間だ。せっかくそんな良いところを通るのに、デジカメが電池切れ、携帯の写真だけで、残念。 |
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5時過ぎにスタート。東海道の曲がり角を探して磐田駅前まで出てしまった。少し戻り、西へ。この近辺のフルマラソンにフル百仲間と参加したころ、高砂香料の厚生棟に前泊、宴会を楽しんだのがなつかしい。天竜川にかかった舟橋跡。(6,2km、6:11)江戸時代には船で渡っていたが、明治に入って船橋を作り、9年には木橋に架け替えられた。10分ほど先、黒塀のりっぱな屋敷は金原明善生家。だれだか知りませんが。このあたりが東海道中間点で、「中野町」という。あれっ、中道寺、袋井宿も中間といっていたけど。計算しなくちゃ。浜松市街地が近づく。馬込一里塚あとには標柱がたっている。市街地に入ると昔の面影はないが、そこここに○○跡の立て札がたって、想像力で昔を偲ぶ。姫街道本坂越え分岐は大手門跡のところ。(13.5km、7:29) |
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東海道線、新幹線をくぐり、しばらくで二つ御堂が。(16.4km、7:56)街道をはさんで2つのお堂がある。交通量が多く、あまり旧道らしくない道だが、ときどき右側に史跡の標柱などがある。高札場跡は、浜松藩の境界。ずーっと直進。篠原一里塚は案内の立て札だけ。 |
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ずーっと直進の道が続く。舞阪に近づき、家並みが昔の雰囲気になってきた。舞阪は、みごとな松並木が残っている。(24.6km、9:12)記念レリーフなどが建てられている。宿場の入り口左側に見付跡の石垣が残る。 |
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見付のすぐ先に舞阪一里塚。盛り土の上に常夜灯が置かれている。(25.4km、9:31)脇本陣茗荷屋は復元公開されている。こういうのにゆっくり入ってみたい。(以前の下見でどれかに入ったがあまり覚えてない。こうやって実際に旅をした後なら印象に残るだろうな)。江戸のころ、舞阪〜新居は「今切の渡し」で船に乗った。船着場の階段をここでは「雁木」という。諸侯用の北雁木が一部保存されている。(26.2km、9:42)今は浜名湖は国道の橋でわたる。弁天島の赤鳥居が見える。 |
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橋をわたり、国道が分岐すると新居宿。安政2年(1855年)に建て替えられた関所の建物が現存する。(30.7km、10:26)向かい側は古い酒屋。突き当たりの曲がり角が本陣跡。南下すると一里塚跡、塚はないが、地元の人たちが手入れしているのか、標識の一角に花のプランターが飾られている。おいしそうな和菓子屋でまんじゅうを買ったとき、手ごろな値段でおいしいうなぎやを聞いた。早朝出発しコンビニ休憩なしで来ている。腹減った〜。 |
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国道に突き当たり、右折して少しで旧道は右に分岐。のどかな田舎道だ。途中で街道をそれ、国道にあるうなぎやに。振り返ると山すそに旧街道が続いているのが見える。うな丼、おいしかった。たくさん走るのでどんぶりご飯も完食。(11:00〜11:40、ゆっくり食べました)うなぎで元気でるかと思ったら、腹が重くて走れない。 |
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白須賀宿にむかい、右折、坂道を上り始める。このあたりもいかにも旧街道という家並み。坂の上に潮見坂の案内看板が立つ。振り返ると海が見える。(36.2km、12:19)国道、旧国道からもそれた白須賀宿は昔の面影がよく残っている。 |
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坂をおりて国道に合流、小さな川を渡る。小さな川の小さな橋だけど、これが境川橋。(39.0km、12:49)遠江、三河国境。現在は静岡・愛知県境。静岡県、長かったなあ。その先に一里山一里塚。小高いところに祠が祭られている。しばらくは国道。でも、全区間で一国とかぶっているところは意外に、本当に少ない。旧街道と関係ないけど、国道の向かいに「コオロギ養殖販売」の看板。鈴虫やかぶと虫じゃあるまいし、いらねえよ!と笑っちゃって写真撮った。国道と別れ、線路をわたって、二川宿に入る。ここもすごい。まるでテーマパーク。道筋も家並みも当時そのまんま。 |
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↑こんな家がそこいらじゅうに並んでいる。本陣跡は資料館になっている。(44.1km、13:51)まだまだ昔の家並みが続いている。二川の街をすぎると、岩屋観音が近づいてくる。以前の下見ではここにも登った。今日は北側の入り口を素通り。(46.0km、14:19) |
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しばらく先でまた一国に合流し、豊橋市街に入る。また空腹になってきたのでマクドナルドで補給。城下町は敵の侵入から守るため、道が曲がりくねっている。掛川も岡崎もややこしかった。吉田城入り口の曲尺門跡が復元されていた。本陣跡は料亭になっている。市街地を抜け、豊橋を渡る。(53.7km、16:03)この区間、ずいぶん時間がかかっている。国道から一本それた旧街道は、のどかな道。夕暮れ時の雰囲気になってきた。遠くに見える赤い大鳥居は豊川稲荷かなあ。今夜はどこに泊まろうか。師匠に赤坂の大橋屋の電話をきいたけど、やはり断られた。いけるところまで行ってみよう。関東なら小さな町にも旅館くらいあるんだけど。 |
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なかなか距離がはかどらない。伊奈立場も昔の面影残す家並みだけど、退社時間の裏道抜け道か、やたらと交通量がふえてきた。歩道もない狭い道なので怖い。旅館や民宿はないかなあ、と探しながら進むが、全然見当たらない。携帯ナビが便利なように宣伝されているけど、こういうところで近くの宿を探そうとしても、無量サイトでは何の役にもたたない。Yahoo電話帳携帯版にやっとアクセス。国府に一軒ありそうなのでそこをめざす。 |
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国府(「こう」と読む)に到着。電話したら旅館は休業中。さあ、困った。岡崎まで行けばビジネスがあるだろうけど、そこまで走り続ける元気はない。今はまだ明るいけど、この先、御油、赤坂と進むうち暗くなり、よい宿場なのでもったいない。行き倒れ状態で国府の駅へ。(63.0km、17:30かな?)私鉄の小さな駅。それなのに何と、信じられないものが、あった!旅行会社が!ラッキ〜〜!!!「よく駆け込んでくるんですよ。そういうお客さんが。夏休みなんか特に多いですね。豊橋と岡崎の間で行き倒れになってしまうんですね。」ってわけで、隣の駅近く、クオリティーホテル豊川に宿をとった。今回の旅でダントツ最高価格の¥6,800。きれいなまともなシティーホテルでゆっくり休んだ。 |
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