4日目
駿府宿⇒見付宿先
磐田市街
71.5km
今日も旧道は未知の区間。昔の雰囲気が残っているとは、こういうところのことなんだ!と感激の連続。市街地をはずれれば、特別な保存地区でなくても、道の形状が、家々の佇まいが、タイムスリップしたみたい。いつかゆっくりハイキングで再訪したい。 |
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天神の湯は一味ちがったすてきな健康ランドだったけど、仮眠室はやはり健康ランド。周囲の音と光、目覚ましを鳴らせない=寝坊が心配で安眠できなかった。(洗濯も)あ、そうそう。ここには死海ぶろというのがあった。ものすごく塩分の濃い湯、走って摺れた傷があると、痛くて入れない、でもどこもなんともなかった。ただ、風邪がなおらず鼻がひどかったので、顔にかかるとヒリヒリ大変。 |
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橋をわたり国道から分かれると、昔の雰囲気ただよう町並み。酒蔵発見!君盃(くんぱい)酒造。安倍川伏流水でしこんだうまい酒、って飲んでないけど。丸子宿本陣跡はりっぱな広い庭のある家。そしてとろろ汁の丁子屋はそのまんま!(9.1km、7:34)今日のグルメに予定していたが、営業は夕方から。残念。 |
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道の駅のところで旧道に入ると、おーっ始まった、いいなあこの雰囲気。山がせまり、古い家が並んで。宇津ノ谷越えは、時代ごとの道がある。当然江戸の道に入るわけで、うーん、ますますいいねえ。江戸時代に迷い込んだか。まるでテーマパーク。秀吉や家康とおつきあいのあったお羽織屋。(13.0km、8:19)その時代からの品々が飾られているそうだ。 |
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村はずれから山道を登る。昔ながらの街道の道筋が残る宇津ノ谷の村が見下ろせる。鬱蒼とした小道が江戸の道の宇津ノ谷峠(13.5km、8:30)。 |
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峠を越えて下ったところに坂下延命地蔵。ここはもっと昔の「蔦の細道」や明治のトンネルからの合流点。岡部宿の入り口に江戸時代に建てられた十石坂観音堂がある(15.9km、8:56)。岡部宿も昔の家並みが保存されている。旅籠だった柏屋は、資料館になっている。 |
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柏屋の中には人形が当時を再現、面白い。またゆっくり見に来たい。本陣跡はきれいな公園に。宿場をはずれると、工場や新興住宅地のある現代の道になってしまった。鬼島一里塚は民家の前に標柱だけ。でも、山が見え、家の裏には田園風景、のどかな道だった。 |
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須雲神社には遠くからもわかる大楠が。天然記念物に指定されている。そろそろ空腹になってきた。国道を斜めに横切ると、おいしそうな和菓子屋があり、藤枝銘菓を2個購入、食べながら進む。すぐ市街地に入り、スーパーなんかもある。安売り惣菜を買って、昼食休憩。藤枝は古くからの寺が多い。今回見学はパス。大慶寺には日蓮上人が植えたという伝えの久遠の松がある。(23.5km、10:40)ここも門から覘いただけ。 |
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工場や新しい住宅も点在する道は単調で長く感じるが、昔ながらの「瀬戸新屋の松並木」が残る。上青島一里塚は駐車場の端に小さな石碑だけ。 |
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市街の中心部、静岡銀行の前には芭蕉の句碑などの石碑が並ぶ。大井神社は、大井川の氾濫から守るため1276年に建立された。(33.0km、12:18)。街を抜け、細い道に分岐。両側には格子戸や黒塀の昔ながらの家が続く。このあたりは大井川川越遺跡。(34.5km、12:31)当時は数百人の川越人足が集められ、口取宿(案内所)や札場などが並んでいた。 |
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当時旅人が大井川を渡る札を求めた川会所。現代は土手をしばらく走り、大井川橋に迂回する。対岸は金谷宿。ここも古いものが残っている。旧家の復元を求める看板なんかもあったり。JRのガードをくぐったところに金谷一里塚。住宅の間の細い坂道を牧の原台地に登っていく。 |
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町並みを抜け、昔ながらの金谷坂石畳に。(39.4km、13:23)入り口から100mは江戸時代の石畳、その上は復元されたもの。六角堂地蔵尊は別名「すべらず地蔵」と書いてあった。登りきると、今は茶畑が広がる諏訪原城址(40.1km、13:43)。 |
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石畳の山道を間の宿菊川へと下る。鎌倉時代からの古い宿場だ。(41.2km、13:52)山に囲まれたのどかな小さな村、おばあちゃん、いい味だしている〜。菊川の村をすぎると、茶畑の丘陵を登る。このへんはハイキングモード。 |
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登りきった中山峠が夜泣き石伝説の小夜の中山。久延寺は境内に文化財が多く、庭もきれい。伝説の「夜泣き石」も祭られている。(42.6km、14:21)久延寺の隣が名物子育飴の扇屋。ここも閉まっていて、今日は名物食べ損ないばかり。 |
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中山峠からは茶畑と林の中の下り坂。途中の小夜の中山一里塚は公園風に整備されている。最後のほうはけっこう急な下りになり、谷あいにある日坂宿に降りる。幼稚園のはずれに門が復元された扇屋本陣跡(45.3km、14:55)。 |
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ここも昔の町並みがよく残っている。旅籠川坂屋は1852年ごろの建物が現存している。村はずれの高札場も、それらしく復元。誉田八幡は「願い事が必ず叶う」として古くから信仰を集め、「事任八幡宮」と呼ばれている(46.0km、15:03)。 |
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谷が開け、バイパスをくぐりしばらくすると伊達方一里塚。柵と植え込みに囲まれきれいに整備されている。旧国道と重なったり離れたりしながら掛川市街に近づいていく。葛川一里塚はこんもりした土盛が復元された上に石柱がたつ。この先市街地に入る。敵の進入から城を守るため、街道は何回も複雑に曲がっている。「新町七曲り」の案内板が街角に(52.4km、16:07)。 |
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七曲には現代の旅人も苦労する。掛川城址は、天守閣が復元され、大手門のあたりは土産屋が並ぶ(53.4km16:30)。風が強くなってきた。地図の入れ替えのとき飛ばされ、大慌てで拾い集めた。街外れで、街道を離れて平将門十九首塚をさがした。(54.4km、16:45)住宅のウラに回りこんで発見。街道に戻り、橋を2つ渡ったところが秋葉街道分岐(55.4km、16:54)。 |
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夕方5時になり、日暮れが近づくがまだまだ道は長い。宿場の間のなんでもない道だけど、両側の家並みに昔の雰囲気が残る。ただ、平日の夕方で退社時なのか、狭い道に交通量が多い。酒蔵発見!元禄年間創業の曽我鶴。閉店後で試飲できず、、、 |
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土手の下に名栗の立場の案内板があり、少しの区間昔の家並み、すぐまた工場地帯に。松並木はこのあたりも続いている。朱塗りの富士浅間神社大鳥居が見えてくる。(60.0km、17:41)本殿は街道から800m入ったあたり、桃山時代の建築物で重要文化財。その先、袋井小学校の校庭に久津部一里塚の石碑がある。 |
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薄暗くなってきた。袋井宿本陣公園(63.2km、18:14)。この先、写真が難しいなと思っていたら、ちょうどバッテリーもなくなってしまった。予備も使ってしまったので、以後は携帯で撮るしかない。袋井は東海道の真ん中の宿、「ど真ん中西小学校」なんてのもあっておもしろい。 |
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旧道らしい家並みの細い道が国道と交差しまた右に分岐するところに遠州鈴が森刑場跡。(68.4km)こんどこそ市街地かと思ったがまだ暗い道。今夜は磐田泊まり、予定変更であてもなかったところ、shirube師匠が安宿をメールしてくれた。途中で予約をと思いながら余裕がなく夜になってしまった。場所もわからないし、電話しようとすると、携帯がバッテリー切れ。その充電器も電池切れ。電池は99でゲットしていたが、入れ替えようにもなぜかふたが開かない。疲れて心細くて、昔の旅もそうだろうな。 |
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