2日目
戸塚宿⇒三島宿
77.3km
予定通り4時半に起きることができ、5時にウインズラジャをスタート。風邪はよくも悪くもなっていない。走ったことによる悪化がないから、日にちとともにだんだん快方にむかうに違いない。益田屋のモチノキで東海道に復帰。ここは旧国道とホンモノの旧東海道の分岐点。もちろん旧東海道を行く。大会ではないから、旧道を見落としても失格にはならないが、それではつまらない。忠実に旧道をたどり、一里塚や本陣跡や、その他いろんな物を見ることがこの旅の目的。できれば昔ながらのおいしいものを食べ、沿道の造り酒屋で地酒を味わいたい。 |
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旧道が旧国道に合流して少し行くと、柏尾川にかかる吉田大橋。(今朝のスタート地点から2.1km、通過時間は5:24)橋のたもとに、広重の浮世絵のパネルがある。戸塚の踏み切りをわたり、市街地を進む。上方見附跡には石垣が残っている。坂を上り、国道に合流。交通量の多いバイパスだが、中央分離帯に松並木が残っている。しばらく走った左、旧家の庭に原宿一里塚。バイパスと藤沢方面の分岐は、道路標識は車用なので無視、左端の側道の坂を下りると道場坂に入れる。両側が遊歩道風の緑の多い道だ。左側は余計なアップダウンだらけ、車道は交通量多く危ない。以前は走りにくい区間だったが、右側の歩道が整備された。 |
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坂を下っていくと、右側に遊行寺坂一里塚の標柱が立てられている。もう少し先が時宗総本山藤沢遊行寺の入り口。境内には史跡、見所が多く、とくに樹齢660年の大銀杏はすごい。(10.2km、6:40)本堂もりっぱ。 |
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参道を下りて日本三大黒門のひとつ冠木門を抜け、赤い橋で境川をわたり、大きな通りを右折。藤沢宿も市街化で本陣跡などは標柱だけ。約3キロで国道1号と合流する。合流点の向かい側に、大山道道標、鳥居も見える。(14.1km、7:16) |
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すぐ先にあると思った一里塚が現れず、見落としたかと思うころ発見。このへんは旧街道の松並木が続き国道ながら、昔の雰囲気が残る。 |
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右にカーブするバイパスと直進する旧道の分岐付近に馬入一里塚の案内板が建つ。平塚宿も市街化で旧街道の面影が残っていない。平塚市民センター入り口の公園に江戸口見附の碑と石垣がある。本陣跡、問屋場跡、高札場跡などには、石碑と説明パネルがある。平塚は七夕で有名、何度か見物にきているが、フル100回楽走会の本拠地でもある。総合公園の周回コースで行われる手作りのフルマラソン参加のためよく訪れる街だ。そのときは史跡に気づかず通り過ぎていた。市街地に99ショップがあり、食料調達。99ショップ、どこまであるかな。 |
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平塚の市街地をぬけ花水川に出ると、橋のたもとに広重の浮世絵のパネルがある。浮世絵とそっくりの高麗山が正面、川の対岸に見える。(26.1km、9:15)ここまではずっと首都圏の市街地という感じ。やっと、昔ながらののどかな雰囲気に出会えた。花水橋をわたり、国道が左にカーブして直進の細い道に入ると、車も通らず、ますますのどかな感じに。両側の住宅も緑に包まれている。 |
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この一角は遊歩道の雰囲気だ。「曽我物語」の虎御前が化粧したという伝説の化粧井戸。(27.2km、9:23)両側に松と榎の並木が続く。こんもりと一段高くなっているのでどれもこれも一里塚に見えてしまう。本物の大磯一里塚発見。立て札があった。さきほど市街地で調達した食料で休憩。線路をくぐり、国道に合流したあたりから大磯宿。商店の前が小島本陣跡。 |
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駅前を過ぎると、左側の一段低いところに、木々が鬱蒼と茂る和風庭園と茅葺屋根の鴫立庵がある。(28.6km、9:55)西行法師の和歌に「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」と詠まれたあたり、庭には歌碑や句碑が並び、日本三大俳諧道場の一つだ。この先しばらくは国道だが、古い松並木が残り、いい感じ。右に旧道が別れ、カーブしてまた国道と合流する緑地帯に、江戸より十七里の国府本郷一里塚。標柱とパネルが建つ。 |
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国道と旧道の分岐には「旧東海道の名残」と書かれた木の柱。右の旧道に入り、国道を横切り、次は左が旧道。分岐点に江戸より十八里の押切坂一里塚。 |
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押切坂を下り、また国道と合流。ときどき左に海が見えるようになる。下り坂の途中、右の崖下のようなところに、史跡車坂の碑がある。(36.7km11:13)その先、大山道分岐。不動明王を乗せた石の道標やと石灯籠がある。丹沢の大山への道だ。大山は信仰の山、何箇所か「大山道」分岐の道標を見た。各地からの大山詣でがさかんだったことがわかる。国府津駅を過ぎ、親木橋を渡ると、小八幡一里塚。解説パネルがある。 |
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酒匂橋から箱根連山がよく見える。ここから小田原市街に入っていく。山王橋を渡り右側に松の老木のある小公園が江戸口見附、ここに小田原一里塚もある。旧道はカクカクっと曲がって国道より1本南側の道。小田原宿に入る。旧脇本陣は今も古清水旅館として営業、古い純和風の建物で当時の面影を偲べる。98−99年の遠足大会で、初日のゴール、宿泊地となった所だ。こういう宿に泊まりながら旅するのもいいな。今回は貧乏旅行で、健康ランド中心。 |
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直進すると、今度は国道がカクカクっと曲がって合流。小田原城が近づく。でも写真は城ではない。創業600年になる「ういろう」。(45.0km、12:40)お城のようにりっぱな「八棟造り」は東海道名所図絵にも描かれていた。ういろう(外郎)は、昔の旅人が使った銀色の小さな丸薬。今も薬として売られている。薬剤師が控えていて、ちゃんと効能、使用法を説明してくれる。のどの痛み、咳などの風邪症状を抑え、胃腸を強化し、疲労回復に効くとのこと。これは旅の友に最適!1箱買って愛用した。接待用の自家製菓子も「ういろう」。こちらは1本でも大きすぎるので買わずに試食だけ。 |
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箱根湯元駅は通らず、須雲川の対岸の急坂を登る。小さいが由緒ある寺社や、しゃれた旅館が緑の中に並ぶ。石段の上は正眼寺。曽我兄弟ゆかりの寺、芭蕉の句碑もある。その先に湯元茶屋一里塚。畑宿への車道は大きくカーブを描いて登っていくが、途中から石畳の旧道が残る。 |
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車道をショートカットするように登って行ったが、もう少しで畑宿のところでは、左側に樹林の中を下りていく。道標の見間違いでないかと心配になったが、大沢坂の立て札があり、しばらく進むと畑宿に出た。茗荷屋本陣跡はきれいな庭の古い日本家屋。(55.3km、14:50)昔の宿場の雰囲気満載の畑宿を抜け、旧街道の山道の入り口には一里塚の大きな柱が。一里塚はこの柱の地点ではなく、山道に入った少し先。(55.5km、14:55)両側に小山のような塚がある。ここから石畳の急登が続く。 |
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昔の旅人にとって難所だった箱根越え。山道で疲れるというだけでなく、山賊なんかも良く出たわけで。一人旅の旅がらすにとっても、日暮れまでに越えられるか、暗い道で変なヤツに襲われないかと不安な道。昨日も真っ暗な権太坂、品濃一里塚あたりは昔の旅人の心細さを味わいながら走ったのだったが。 |
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芦ノ湖畔の車道に出ると、道をまたいで箱根神社の大きな赤鳥居。(59.6km、16:05)鳥居の右側、湖畔に賽の河原石仏群。地蔵信仰の霊地として、江戸時代にはもっと多くの石仏があったそうだ。芦ノ湖、昼ならもっと色の美しい写真になるが、このとおり夕方になってしまった。 |
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ここの杉並木は1618年箱根宿設立時に植えられたもの。大木が並び、昼なお暗い。(60.2km、16:10)江戸から二十四里の一里塚跡の標識があった。杉並木を出ると箱根関所。(60.5km、16:17)夕方で見学時間も終わり、観光客はまばら。土産屋、旅館、遊覧船乗り場の並ぶ道に、箱根駅伝往路ゴールの広場。ここまでは何回も走ってきているが、この先三島への旧道は一度ちゃんとした地図もなく標識たよりにたどったことがあるだけ。山中で暗くなったらやだなー。 |
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旧道入り口を見落とさないようにと気にしながらなのでゆっくりしか進めない。芦ノ湖に沿って一国からそれて右の道に入り、、駒形神社が目印。その先に芦ノ湖西岸歩道の案内板があるが、旧道入り口もこの地点。芦川の石塔群をみながら石畳を登る。一国をくぐり、向坂をのぼり、箱根峠のインターチェンジの中を通り抜ける。標高846mの、旧東海道最高地点。そのポイントの標識があるのか、見落としたのか。(62.6km、16:40ごろ) |
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ゴルフ場への私有地のような道に入り、標識を見落とさないように旧道入り口を見つける。下り坂をずんずん下り、接待茶屋跡に。復元準備中。国道に出てまた山道に入ったところに、山中新田一里塚がある。ここからも、復元された石畳をどんどん下る。以前来たときは発掘調査中だった。 |
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石原坂、大枯木坂、小枯木坂と石畳を下ると、徳利と盃の浮き彫りがきざまれた石碑「雲助徳利の墓」がある。酒好きの雲助親分、松谷久四郎の墓と言われている。なに?旅がらすの墓にもぴったりだろうって? |
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笹原一里塚は薄暗くて写真に写らなかった。笹原新田からは、旧道も山道ではなく里道に。あー、助かったと思ったらまた一部石畳が出てきたりで油断できない。こわめし坂、三ツ谷新田、市山新田、塚原新田と下り続け、江戸から二十八里の錦田一里塚に。(72.4km、18:36))両側に旧態がよく残り、国指定史跡なのだけど、もう真っ暗。説明板の写真しかとれなかった。もうすぐ三島市街だけど、まだまだ暗い道。病院の脇から細い道に入って線路をわたり、大場川の新町橋をわたったあたりが三島宿東見附。やっと市街地に入り、道が明るくなった。三島大社はもう桜が咲き、お花見のためか屋台が並んでいた。(74.7km、19:02)本殿まで往復、国道に戻って商店街を進み、広小路駅近くの踏み切りをわたるとすぐ二又。右が国道で左が旧道。旧道をほんのちょっとで今日は終わり。 |
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