1日目
日本橋⇒戸塚宿
42.4km
お江戸日本橋。ここから走り出したことは何度もある。でも、今回は今までと違う。ずーっと走って京都まで行くんだ。ワクワク! |
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橋の南西角には「日本橋由来記」。しばらくは国道15号とかぶっている。真っ昼間の都心の歩道は人通りが多い。よけながら、信号にひっかかりながら15分くらいで京橋。橋はなくなってしまったが、欄干の親柱が記念碑として残っている。銀座通りを進み、新橋をすぎ、大門交差点では右手に増上寺や東京タワーが見える。 |
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大門の少し先に金杉橋。ここまでが江戸市街だった。田町駅の少し手前に「西郷南州、勝海舟会見之地」の碑。幕末、この会見で江戸城無血開城が決定、江戸の町は戦火を免れたそうだ。札の辻を過ぎ、左側を走っていくと、歩道の真ん中に木が茂る石垣がある。高輪大木戸跡。日本橋から6.1km。13:56通過。ここまでで1時間。江戸のはずれにあたる大木戸で、番人もいて旅人の出入りを監視した。(ちなみに、東海道と関係ないけど、勤務先の本社がここからすぐ) |
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品川駅前を過ぎ、国道15号と分岐して八ツ山橋をわたる。7.9km地点。14:09。その道路から右側にはずれ、いよいよ旧道に。京急の踏み切りをわたり、北品川商店街に入る。店のシャッターに浮世絵風の絵をかいてあったり、昔風の看板をかけたり、年々旧道の雰囲気作りが進んでいる。右の写真は問答河岸跡の碑。徳川家光と沢庵和尚が問答をしたところだとか。道は自然なカーブがつき、「お休み処」などもあって旧街道の雰囲気満載。 |
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にぎやかな商店街が続く。小公園の一角に「日本橋より二里」の品川一里塚跡。松が植えられ、石柱が立つ。一里目はあとかたもなかったな。その先、本陣跡の公園。 |
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目黒川にかかる品川橋の上は小公園風、赤い欄干の小橋も見える。お休み処のトイレも昔の雰囲気。青物横丁をすぎると、右側に品川寺。入り口に江戸六地蔵(各街道の守りに設置された)の一つが鎮座している。9.7km地点、14:28通過。 |
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立会川に架かる浜川橋は涙橋とも言われ、鈴が森刑場に送られた人が家族と涙の別れをしたところ。鈴が森の手前左側に品川区民公園入り口。この公園は水族館などもある人気スポット。そしてこの入り口の場所は、「武蔵野の路ウルトラマラニック」で例年エイドとなったところだ。 |
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鈴が森刑場跡から少し国道を走り、三原通り商店街でまた旧道が分岐。平和島駅を過ぎ、再び国道15号と合流するところは、羽田への道との二又なので、方向を間違えないように。ここから多摩川までは国道。つまらない。右側に梅屋敷公園。季節には梅の花がきれいだが、都内ではもう時期遅れと思って今日はパス。15.0km、15:12。 |
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六郷橋の川崎側に、大師道の道標。18.7km、15:48。まあまあ順調。橋の下におり、右に行くと川崎宿に。都市化により、面影は全然ないが、要所要所には○○跡の説明板が立っている。 |
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芭蕉の句碑のある一角。麦の別れの説明板がある。八丁畷駅前で斜めに京急をわたり、1キロくらい行くと、左側に市場一里塚がある。江戸から五里目。鶴見川を渡った左側に鶴見橋関門跡の碑。横浜開港当時の警備のため設けられたものだ。22.3km、16:36。 |
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右側に小さな稲荷神社がある。奇祭「蛇も蚊も」の石碑がある。24.4km、16:54。この通りも旧街道らしい自然なカーブを描いている。国道駅のガードをくぐり、しばらく行くとキリンビールの工場がある。見学も受付ている、公園風の広い敷地のきれいな工場だ。本当は沿道の地酒、地ビール試飲をテーマに走りたいところだが、もう夕方、見学時間は終わっているし、先を急がないと日が暮れる。国道に合流したところに生麦事件の碑。25.5km、17:04。説明は上記生麦事件現場の碑に。 |
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またしばらくは国道を走らなければならない。子安、新神奈川。右手が寺町になると、旧道が別れる。目印は宮前商店街。これを入り、線路をわたり、一国も渡り、間違えないように斜め前の路に入る。まもなく神奈川宿。坂道を登っていくと途中左側に江戸時代からの茶屋、田中屋がある。老舗という雰囲気で今は料亭として営業。30.1km、17:47。さらに登って行くと、台町関門の碑。川崎宿よりは雰囲気が残っている。でも、ここが海っぺりだったのか。暗くなってきた。 |
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下り坂になり、現代の道と複雑に交わりながら、浅間神社の高台の左側の道に入る。天王町商店街で安売りのペットボトル飲料を購入。相鉄のガードの先、駅前広場のようなところに、旧帷子橋の説明板。(写真左)32.7km、18:17。川の位置も変わってしまったんだ。暗いけど、道は覚えており、地図をみないでも大丈夫。国道1号に突き当たった正面が保土ヶ谷宿軽部家本陣跡。(写真中)34.2km、18:32。旧家が残り、石塀の奥に、昔のままの門が残されている。暗いので写真に写らず残念。国道を少しでまた旧道が別れる。権太坂は国道ではなく、急な登りの細い道。途中左側に、権太坂の石碑がある。(写真右)36.3km、18:51。尾根の上、住宅街の間に細く暗くアップダウンのある曲がりくねった道が続く。初めてここを通ったときは地図を一生懸命見ても不安だった。でも新興住宅地の開発が進む中にこのような道がつぶされず残っているのは、由緒ある道にちがいない、だからこれが東海道に間違いないと同行者と話したことを思い出す。 |
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旧相模、武蔵の国境である境木地蔵の前で左折。37.2km、19:03。下り坂の両側、うっそうと木が茂る小山の上が品濃一里塚。37.6km、19:08。せっかく良く残っている史跡だが、真っ暗。バイパスを歩道橋で渡り、右側の坂道をおりて水路沿いをしばらく行って、国道を横切る。 |
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大きなモチノキのある益田家前で今日の東海道は終わり。右折し、矢部インターの先、今夜の宿のウインズラジャ戸塚は派手なイルミネーションで遠くからでもすぐわかった。 |
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