次の夢を追いかけて 

 


旅がらすの乱RUNらん

 

   2011年3月11日    三浦半島縦断トレイル、地震、津波

 

 葉山で古巣のOB会。もちろん不成立右斜め下未曾有の大災害が起きたという理解はできたが、まさか、ここまで大惨事になるとは思いもよらなかった。地震の瞬間は最も安全な場所にいた。が、その後は危険と隣り合わせ。無事でよかった。そして長時間の停電。東京では帰宅難民があふれてた。これだけでも大騒ぎ。でも、それ以上は情報も少なく・・・
 この日そんな事が起きるとは想像もせず、でもなぜかLEDライトをザックに入れて、朝から湘南入り、逗子から神武寺、鷹取山経由し三浦半島トレイルに入った。といっても道がわからず迷いまくり。武山まで行く時間なくなり、大楠山までにして山頂で遊んでいたら、ひどいめまいがげっそり立っていられない。吐き気もしてきて・・・先日から急に血圧が高くなってたし、ワタシャもうアウトかと思った。そしたら地震です、大きいです、レストハウスのテレビでニュース見ましょうと声をかけられた。あ〜私の頭のせいじゃなかったんだ。しかしすごい揺れだったなあ。いったい震源はどこ?よほど近いの?すると誰かが「先日の続きで宮城県北部らしい」と。それ聞いて血の気が引いた。そんなに遠いのにこの揺れ?今まで経験した中でも一番大きい。震源地近くはどんなにひどかったんだろう。そしてめちゃ広い範囲での大地震だ。大楠山頂からは下界が360度見渡せる。下界はあるんだろうか?2012の映画の場面が浮かぶ。見るのが怖かった。
 横浜方面に2箇所黒い煙と炎が見えた。望遠鏡で確認すると、煙突からみたい。テレビ見ると、お台場が燃えているexclamationチョビひよこママはお台場で働いてるexclamation大丈夫か?店はテレコムセンターだったような気が。携帯電話が繋がらない右斜め下でも思い出した、大丈夫、テレコムセンターは昔のバイト先だった。今はビーチの方。Kissyにもキッシーにも携帯電話繋がらない。家族が心配だった。山頂は安全で、売店に水、スーパードライ、ワンカップ、カップ麺がある。津波警報で日本中の海岸線真っ赤っかexclamationここにいたほうが良いかなあ。でも寒くなってきたし、下山することに。津波のサイレンが鳴り響いていた。海岸の国道走る人たら、何回もパトカーから避難命令。高台で待機したりしながら、やっと葉山に。が、宿は大丈夫か?来てる人いるのか?どことも電話が繋がらない。
もしかしたらこのまま走る人て東京かな。ライト持ってるしそれも大丈夫。
山回りで裏から宿に。午後休した一人だけがいて、停電してるが宿は無事。風呂入り、ロウソクの灯りで夕食。停電では何もすることなく、とっくり(おちょこ付き)飲んでさっさと眠い(睡眠)

 


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 逗子から走り始め、神武時入り口に。
境内に「なんじゃもんじゃ」の木。

 

 

 宅地化が近くまで進むのに、静かな本堂。途中で保育園児の親子遠足見たいなグループを抜き、石切り場あとの鷹取山に。前回ここに来たのは、娘や息子がその子たちくらいのころだ。
 岩場の後ろから階段で展望台に登れる。付近は公園としてすっかり整備されている。

 

 

 高取山の岩の一つに磨崖仏が掘られている。
 さて、縦断トレイルがわからない。とりあえず田浦梅林への路を行く。どのへんいいるかわからず。送電線の方に行ったら間違いで、戻ってまた道探し。やっと縦走路らしきモノに入ったが、また送電線都の分岐。山道は急な坂を下り、住宅街に入った。講演の隅っこウロウロ、通行人に聞いたら、教えてくれた。超わからないコース。網戸を開いてバラ線の中に入り、

 

 

 崖をはしごで登る。しばらくしたらまた新興住宅地の中に道が消える。山と住宅の境を行ったが、道が完全になくなった。一度住宅地に下りるしかないが、どの道だろう。またさんざん探し、住宅街に消えた。住宅街のはずれから、階段を登って山に戻る。

 

 

 こんどは標識がある。しばらくはわかりやすい。畠山を目指して走る。

 

 

 畠山。たった205m。竹林の下の美しい道になる。また、山道が終わり住宅地に下る。また、道がわからなくなる。高速道路を横切り、それから、大楠山への路がわからない。阿部倉鉱泉入り口を見つけ、大楠山への標識も見つける。

 

 

 しばらくは、沢沿いの小路だ。ハイキングコースとして賑わうエリアなので、標識も多く、簡単に山頂に。でも、途中迷いまくったから、武山まで行くのは無理だ。大楠まででやめることにして、のんびり昼食など。螺旋階段で展望塔に。360度、東京湾も相模湾も、三浦半島の全域も、富士山も見える。

 

 

 展望塔を下りてベンチでのんびりおにぎり食べていたら、身体がグ〜ラグラ。ベンチが風でゆれてるのかな?いや、ベンチはコンクリ製だ。でもやはりグ〜ラグラ。眼が回る〜。立ち上がって場所移動しようと思ったらフ〜ラフラ。眼が回る〜。頭かな?いよいよおしまいか?と怖かった。倒れそうで、うずくまってベンチにしがみついた。地震だと教えてもらったのはそれから。
 この日、東日本で暮らす人々の運命は変わってしまった。

 

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