次の夢を追いかけて 

 


旅がらすの乱RUNらん

 

 
  
2009年3月7日    お台場&豊洲思い出ラン

 

 お台場24時間走の見物で東京ベイエリアを走った。そこは、かつて旅がらすが生息していた、思い出の地だ。湾岸道路のはずれあたりは、烏の生息地でもあり、旅がらす対カラスのバトル第1戦が行われたところだ。あの時は、怖かった。
 かつて、倉庫と工場と、廃墟のような空き地と、古い団地の豊洲が、しゃれた大規模ショッピングモールと新しいマンションの立ち並ぶトレンディタウンに変身、いまや若者の住みたい街ベスト10入りというからびっくりだ。行ってみたら、たしかに別世界。でも、ばあさんが住みたい街ではなかった。やっぱり田舎がいい。

 

 

 江戸末期、黒船襲来衝撃それに備えて砲台が築かれた。上の写真がその砲台跡。(このころ、私はまだ生まれていませんが)

 

 

 今から30年くらい前は、無人の荒野に船の科学館だけがドーンとたっていた。それが、みんながグルグルしたあたり。kissyとsadakun連れて1時間に1本のバスに乗って遊びに行き、そこから船で浜離宮に行った。
 ある年の4月、「GWでもここならすいています!近くの穴場」と、新聞の東京版に出た。住んでいた団地から、自転車の前後にkissyとsadakun乗せ、野草の咲く湾岸道路を走って行った。白砂青松の浜辺が広がっていて感動した。当時はバックにレインボーブリッジもビルもなかった。

 

 

   やがて、サーファーに人気の地、また、BBQをする家族づれやグループで賑わう、湾岸住民の憩いの地となった。石垣で固められた緑の島(1つは陸続き)が史跡お台場。

 

 

 島の中はこんなふうに、周りを土手で囲まれて中は窪地。

 

 

 これも史跡らしいが、みんなバーベキュー炉として使ってた。これを模して作られたのが若洲キャンプ場。

 

 

 土手に上がると、海の向こうにトーキョーが見えた。

 

 

 今は海のこちら側もトーキョーだ。当時、この砂浜でも、よくBBQをやった。ゴムボート浮かべて遊んだりした。
 そのうち湾岸戦争が勃発、海の向こうから攻めてきた品川区が船の科学館一帯を、港区がお台場そのものをぶんどり、地続きの江東区に残されたのは広大な荒野。
 あるとき、一帯が鉄板で囲まれ入れなくなった。それから数年後、

 

 

 レインボーブリッジが開通。

 

 

 1996年3月、鉄板が取り払われ、真新しい無人のビル群が姿をあらわした。それから1ヶ月後、しゃれた店が続々オープン、アーバンリゾートとして賑わうようになった。

 

 

 このごろ、どうなんだろう。ひところのような賑わいがないみたい。

 

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