20時間でトホホ

飛びそこなった学芸大24時間走

 後の用事のため、車で学芸大に。近くまで行って迷走と渋滞で、スタート地点到着は10時ぎりぎり。ランナーとスタッフ学生の引き合わせをしているところだった。あわただしくて学生さんの名前を覚えていないが、6~7人で2人のランナーに付くというぜいたくな体制。そして、エイドには関西からSataさんが。途中副ちゃんも加わり、ますますぜいたく。このごろほとんど大会に出ないのでみんなにとって私がなじみが薄い方になる。

 スタートしたら、みんな速い速い。確かに、顔ぶれ見りゃ分かる。速い人だらけだ。女性も、ひろこさん、りよちゃん、怪速亭(関西周遊の打ち上げで見た人)、ひまちゃん(中仙道で一度会った人)に、びゅんびゅん抜かされる。ここは200キロ超の世界だったのか、と後悔。キロ6分は私にはとてもムリ。一人ズルズルとペースが落ちる。1周630m、では8周で5キロだと計算、約10キロの16周ごとに休憩。途中からそんなに続かなくなり、10周ごとに給水給食。周囲が速いだけで、旅がらすとしては順調?いや、速すぎたかな。6時間経過時、80周。日が短いので、暗くなり始める。100周、というとずいぶんやったみたいだけど、まだ63キロ。80キロを10時間で通過。頑張れた場合に予定したペースだ。このころから、周囲では夜中モードで長い休憩をとったり、眠そうに歩き始める人も出る。だんだん抜く側になってくる。でも、旅がらすは夜道は歩けない! 100キロを12時間50分で通過。速すぎる。でもまだまだ元気。1周5分、トイレとエイドのロスで1時間に11周というペースがずっと続いている。巡航速度7キロ。荷物かついだウルトラでも、疲れてからの区間を時速7キロで走ってきた。荷物がないのだから、これでずっと行けるだろうと、ハイな気分になる。このころになると、ひろこさんもりよちゃんも、故障が出たのか痛そうに、ゆっくりになる。私もその距離まで進んだときどうなるか。そうなんです!そのときどうなるかが問題!

 日付がかわってからも、疲れも不調も感じなかった。淡々と1周5分~5分10秒ペースで10周ずつ距離を積み重ねていった。このまま最後まで行けるんじゃないか、行けるはずだ。学生さんたちも、いいペース!と喜んでくれていた。エイドでは、うどん、おにぎり、パンなどを毎回食べ、午後の紅茶のオレンジジュース割りを飲んで、食欲も旺盛。4時間ごとに周回を反転する。みんなでぐるぐるぐるぐる、あるとき一斉に反対むいてグルッ。葛西臨海公園のマグロだなー。
 shirube師匠は、学内が暗いので、夕方7時ごろから真夜中モードになってしまっていた。夜があけてからどこまで挽回するか。「PCの前では夜更かししてるじゃないですか」と聞くと、「明るくしているからね、だから夜間走でも明るくて人通りの多いところだとそんなに落ちないのだけど」と言っていた。雲峰師匠は昨日1升箱さげて応援にきたけど、すぐ帰ってしまった。北欧ツアコンさんはその酒飲んで昨日のうちに帰ってしまった。Sataさんも副ちゃんも帰ってしまった。でも、ほとんどの参加者は帰りも眠りもせず走路にいる。昔は、もっと多くの参加者が、終電までに帰ったり、深夜ずっと仮眠してたりだったが、今回はまじめでレベル高くてすごい。

 yokoyanさんから、「これから真骨頂発揮ですね!」と声かけられた。結果は愚の骨頂発揮で終わってしまったが、この時点では予想などしてなかった。さくら道では最後まで同じようなペースで走りきれた。関西周遊でも、チーム走の難しさが壁だったが、けっこう最後まで粘れた。ちょっとの休憩やコースの変化で回復できた。だから、ほんとにこのまま行ける!そうしたら180キロも夢じゃない?(ありえない!計算違い)完全にこのまま、1時間に11周できれば、(ありえない!!)まあそれはムリだろうけど、280周めざそう。とハイな気持ちで進んだ。

 周回が単調すぎるので、さくら道のコースを思い浮かべたりして、、五箇山トンネル抜けて長い下り坂だよ、足痛めないように気をつけなくちゃ、なんて思った瞬間!ほんとにそれは瞬間だった。残り約6時間、219周めの最後のコーナーを回る瞬間。右脚の脛内側に激痛が走った。何がおきたかわからない、頭のなかも大混乱。学生さんたちが、「大丈夫ですか!どうしたんですか?」と叫んでいる。なんとかごまかしてすすめるかな、テーピングはどうだろう。渡辺センセも見てくれて、動く場所ではないのでテーピングは効果ないだろう(テープがなかったのでちょうど良い結論)と、消炎スプレーでごまかすことにした。そしてあと1周すればキリだからと、フリース着てウインドブレーカーはいてゆっくり歩く。でも、旅がらすは夜道は歩けない! 歩きになるとめちゃくちゃ寒い、眠い。もう少し辛抱、すぐ夜が明ける。歩きつづければ100マイルは超えられる。でも1周歩くうちに寒さと眠さでまいってしまった。

 とにかくつぎの10周に入ろう。そうすればもうあと10周で240周、150キロになる。それからもう10周で250周、なんとなくキリがいい。で、もうひとがんばりで100マイル、歩いて粘れば、という計算をする一方、疲労骨折だったらどうしよう、粘って悪化したらどうしよう、代金払ったラスベガスは歩けさえすれば行くことはできる、宮古島は連走にチャレンジできる状態でないとあまりにもったいない、、、この最後のことが一番ネックだった。渡辺センセは、「2日目につぶれて歩き続ける場合の練習と思って粘ってみれば」という。学生さんたちが交代でいっしょに歩いてくれる。チームに群馬出身が2人いるからと、呼んできてくれた。前橋と太田。しゃべりながら歩いて眠気がいくらか覚ませる。でも夜が明けても気温はちっとも上がらない。寒いし、吐き気もしてくる。1周に時間がかかるので数えることもできなくなる。なんとか230周まで行ったと思う。230周目かその次か、もうだめだーモード。右脚は持ち上げても地面についても痛い。ということは、運転でアクセルからブレーキに踏みかえられないじゃないか!そしたら日常生活もできない!こりゃ大変。計測で使っていた学生食堂の暖房が誘惑的で、頼みこんで休ませてもらった。そこに沈没。ストーブにかじりつきリタイア宣言。いすを並べて横になると、胃液が上がってくる。で、横にならずそのまま居眠り。

 9時ごろ、のこのこ起き出して、本部前に戻った。残りわずかになりみなさん復活、順調に周回を重ねている。shirube師匠も完全復活しラストスパート中。みんなを見ているとリタイアが残念でつらい。休憩中の弟の兄さんや応援の世界チャンプとしゃべって過ごす。呑んだくれ実業団の結成宴会で飲み明かしたあんころグループが応援にくる。ゴールは賑やかに。何周か歩いてせめてみんなとゴールをともにすればいいのだが、その気力がでない。残念でみじめで。
敗因はオーバーペースに間違いない。でも、どの部分が決定的ダメージの原因になったのだろう。100キロ12時間50分が完全なオーバーペースなのは確か。スタートの30~40キロがオーバーペースでも、そこからムリをやめればそんなにダメージは残らない。毎週ウルトラに出ている人たちと違って100キロをまとめて走ることが年に何回もないのだから、そこまで頑張ってしまっては、おしまいになるのだな。もっと前にキロ8分の安定ペースまで落とし、その後も体の声にもっと素直になり、計算ぬきで体調にあわせてゆっくりにしたり歩いたり休んだり回復したり。深夜の絶好調ですっかりハイになってしまい遊び心がなくなってしまった。

 

そもそも学芸大コースは平地、旅がらすの出番は山道、
最初からうまく行くはずなかったのだ!

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